内田健二公認会計士

私たちの思い

ここでは公認会計士・内田健二の経歴をインタビュー形式でお伝えいたします。

公認会計士への道程

-東京の大学を卒業した後、地元長崎で就職なさってますが、東京で就職しようとは思いませんでしたか?
A. そうですね、大学生活を東京で過ごしてみて思ったのは、東京という大都市で何かに追い立てられるようなリズムで生活するのは、自分のスタイルではない、という事です。性格がのんびりしているのか(笑)、東京の情報の煩雑さ、いろんな物事が(無神経に)消費されて行くスピードは、どうも自分の性分に合いませんでした。それを感じると同時に、生まれ育った九州の良さをとても感じました。

-九州の良さをもう少し具体的に言うとなんでしょうか?


上京してはじめて故郷の温かさに気づく

A. 一言でいうととても快適に生きて行けるところです。食べ物はおいしいし、適度に自然もある。そして物価も安い。とても生活しやすいですよね。また、人との関わり、距離感もバランスがよくて、東京みたいにクールすぎない。人間関係をとても大切にしますし、「人の情」を感じるところが最大の魅力ですかね。

-はじめての職場は県庁です。公務員を選ばれたのは何か理由がありますか?
A. いえ、特に深い理由はありません(笑)長崎に就職したい会社がなかったからです。当時、私も若かったせいか、長崎にどんないい会社があるのか、よく分かってなかったんですよね。なので、しかたなく、といったら身もふたもないですが、(無難な)長崎県庁を選びました。
-県庁在勤中はどういう仕事をなさっていましたか?
A. 県庁では、障害福祉施設の担当になり、主に監査業務をしていました。長崎県内の障害者施設はほとんど行きました。
-その後、公認会計士の試験にトライするわけですが、そのきっかけは何だったんですか?


会計士になるきっかけは奥様のご両親の勧めで

A. 妻の実家が旅館を経営していまして、経営の話しを聞いたのがきっかけです。会社経営の仕組み、利益を生み出す仕組みをいろいろ聞いたんですが、それがとても新鮮で興味を覚えました。公務員には利益を生むという概念はないですから。また、妻の両親の勧めも大きかったですね。

-受験中はどういう生活でしたか?
A. とにかく時間を作って、ひたすら勉強していました。朝起きてから、出勤の電車の中、移動中、昼休み、アフターファイブなどなど、とにかく細かな時間を作って一日7、8時間は勉強しました。週末は一日中勉強しました。文句一つ言わなかった妻には本当に感謝しています。

独立

-一回目の受験で合格した後は、中央青山監査法人、監査法人トーマツなど、監査法人でキャリアを積まれます。監査法人ではどういう仕事をされましたか?


7年の監査法人時代が人生の糧となっています

A. 監査法人ですから主に監査業務ですが、金融商品取引監査、会社法監査の主査、などいろんな監査をしました。
 その他にはシステムレビューアーや上場企業の内部統制構築のアドバイザーなどもしました。

-独立するきっかけは何ですか?
A. 公認会計士の試験に合格した時から、独立は意識していました。直接的なきっかけはないのですが、自分が培ってきた知識とキャリアを地域企業の成長に役立てたいという欲求が高まったことです。
-監査法人では大手の企業がクライアントでした。独立後は個人事業主や中小零細企業がクライアントです。そこにギャップを感じませんでしたか?


異業種の方々との接触はいつも新鮮です

A. 監査法人で監査業務をしていた時は、対象が大手の企業ばかりでした。大手にはもちろん経理部があり、多数の社員が分担して経理業務をやっています。
 しかし、独立後のクライアントは、中小零細企業がほとんどで、一人の方が経理から総務関連、本業の実務まで、なんでもこなしています。そのスケール感のギャップにはとまどいました。しかし、中小零細企業が、少人数で何でもこなさなければならないのは、当たり前です。それを踏まえて、上手くフォローしながら対応しています。

会計士・内田健二の夢

-現在のお仕事で、大切になさっている事やポリシーはありますか?
A. 自分もクライアントの会社の一員という意識を持ってお付き合いしています。自分の会社を良くしたい、ともに成長させたいと思いながら、経営者と成長戦略を練って行くのは、とてもワクワクする作業です。
-最後に、先生の今後の夢をお聞かせください。


幅広い客層をカバーするため日々精進しています

A. 自分が惚れ込んだお客さんと二人三脚で戦略を練り、ともに会社を大きくして、喜びを共有すること。シンプルだがこれに尽きます。